祈りについて
天照大神 2007年8月2日の霊言
今までは祈り方がわからないから、形の中において、気高き言葉を並べることをもって、主の祈りにおいても、神につながるのはこのような境地で、このような語りかけをしていくことが、魂を純化し、神につながる道であるよということで、イエス・キリストも、モーゼも、そしてイスラムのマホメットも、そして我らが日本神道においても、仏陀におきましても、そういうもの、祈りの言葉というものを示していったのです。しかしもうこのような言葉が形の中で、隠れている時代ではないということ。逆にいうと、さきほどから女性の問題、ありのままである大変な時代が来るよと、申しますけれども、逆にいうと、その方その方から、語る祈りの言葉によって、その方の言葉のバイブレーション、言霊のレベルによって、その方の認識がどの程度のものであり、愛がどの程度の豊かさと深さを持つものであるか、それが他の者にもわかってしまうほどの、そのような純粋な霊域の時代が来るということです。
他の方から見ても、もっと言うのであるのならば、今みなさま方が、イスの上に座っておられますね。イスの上に座っておられるこの個性あるエネルギー、そのあなた方のこのエネルギーそのものが、祈りであるのです。愛の祈りの姿である、あなた方が神の子であるのならば、神の子として、愛のエネルギーとして、愛の親たる神に、どのようにつながっているか、それがむき出してわかってくる、その語りかけ、存在を持って愛のエネルギーであること、神の子であるということを証明している、その姿、その存在そのものが祈りであるということです。神との関わり合い方、愛の存在の仕方、それがあなた方自身でもあるし、それの存在を通して、祈りが行われているのです。言葉を語らなくても、あなた方の存在を見たならば、あなた方の愛の祈りがどのようなものであるか、それが他の方々から見て、一目瞭然わかってしまうのです。
だからイエス・キリストは公会堂で、人の目の前で大きな声で祈りを捧げるユダヤ教徒たちに戒められたのです。大きな声で人前で、美辞麗句を並べて祈るようなことはするなと、そのようなものは、神の心へは届かないのだと。何もしなくても、片隅で豆を売っていても、一生懸命病気の母親のために、売って仕事をしていた少年は、その存在、その行為そのもので愛の祈りそのものであります。それを神は喜ばれるのです。
2002年11月21日 天照大神 「神の子としての女性の気高さを地上に示しましょう」
2002年12月19日 木花開耶媛命 「日本神道の悲願」
2004年08月21日 天照大神 「最後の切り札をつぶさないで」
2005年07月14日 日向 「巫女の役割と霊界通信」
2005年07月16日 日向 「レムリアにおける霊界通信の特殊性」
2005年07月21日 小桜姫 「人びとの幸せのために生きること」
2005年07月28日 木花開耶媛命 「女性として妻としての幸せ」
2005年08月02日 日向 「現代日本における家庭のあり方」
2006年04月01日 木花開耶媛命 (タイトルなし)
2006年04月08日 日向 (タイトルなし)
2007年01月06日 天照大神 「神理の太陽が昇る国として光り輝く大和の地」
2007年04月21日 木花開耶媛命 「女性の法について」
2007年07月12日 玉依媛命 「宇宙時代に向けての恋愛論」
2008年10月11日 天照大神 「大和心を世界に」
2008年10月13日 天照大神 「地球神道への道」