スピリチュアル・メッセージ

この地球を変えていくために命をかけよ

吉田松陰 2005年3月12日の霊言

吉田松陰

紹介動画

今日(こんにち)の日本というものを見て、我が維新の時代に出ていった者たちから見たらば、確かにいろいろな、こうあってほしかったという希望はあるけれど、しかし、時の流れの中におき、いきなり変化するものはないのであって、何事も段階を経て徐々に徐々に変わっていき、そしてまた大きなる革命的な大転換期というのが常に時代にはあるので、我らが維新のときに出た者たちがやったひとかけらの努力、命をかけた血の汗が今の日本の中におき、このような言論の自由と、このような文明国の一流の仲間入りをした産業文化を発展させていく、世界の中心のひとつとなったこの日本を見るにあたって、わたくしは感無量の思いがあり、わたくしたちが志を次の世代の者に、その思想における種をまき、それを引き継ぎ、開花させていってもらったその業績をもって、今の日本があるのだと思うと、わたくしなりに、満足はしてはいなくても、今の姿を見て「ああよかった」と、日本がこのような世界のリーダー国のひとつとなり、他の国々から取り残されずに済んだのであると、そのように思うから、けっしてそのようにご心配召されるような失望ばかりがあるわけではない。

しかし、やはり今日の政治状況、経済文化、そしてわたくしが殊(こと)に思うのは若者に対する教育制度の矛盾、希望を失い真の人生の価値を、命をかけて生きるということがどういうことなのかを真に学ばねばならぬ若人(わこうど)たちの中に、単なる学歴と知識偏重の思いのなかで、自らの命を燃やし、自らの魂を何にかけて生きていくかという、そのような示唆に満ちた教育が与えられていないということ。それによりみすみす無駄に優秀な人材をこの社会の中で埋もれされ、腐らせ、この社会を発展させるための力としていないという、そのような悔しさ残念さというものを、見ていて思うのです。

若者たちの力を若人の力というもの、教育というものを、しっかりとしない社会に未来はない。

今、政治においても全てが我々の時代でいうならば、もうとっくに引退してもよいような老人と言われてる世代が力を握っている。

我々の時代はどうであったか。龍馬にしても、勝にしても、私にしても、私のところに来た者たち、松下村塾の門下生の者たちもその時代はまだほんとうに二十代十代後半の者もいた。そのような若き志高き者たちが未来の日本を変えんがために、必死に学び、必死に努力をし、新たな社会変革というものを思った時、世の中は動いた。日本自体が動いたのだ。

何百年にわたる徳川の体制の中で、人びとは士農工商という生まれもった身分というものに生まれ落ちたということを受け入れ、その中で生きていくことにあきらめを、人生の居心地のよさというのを感じていた。そこには少しもおのが人生を光らせ、挑戦し、自分自身の天命を開花させ、そして、その自分の人生をもって社会を変革しようなどという夢は、少しも許されぬ社会であったのだ。

そのようなことをもし思ったのならば、すぐさまに斬り捨て御免で斬り殺されていた、そういう時代、だから若者たちは常にあきらめ、常に自分の生まれ落ちたところを、下級武士とか士族の出であるとかないとか、そのようなもので、自分自らの人生の中における夢を見ることすらあきらめたのである。

そのようなことではいけないと私は思った。人はそれぞれおのが命を光り輝かせ、おのが人生の全ての努力と誠をもって命を輝かせ、そして、おのが命、おのがひとりの幸せを超えた万人の幸せのために、社会を幸せにしていくことに命をかけるこそ、日本男児の真の生きがい、真骨頂(しんこっちょう)があるのであると私は思ったのだ。その夢を持ち続けた。その上での夢を若い私の塾の者たちに教え、そして、その夢を語ったのである。

私がやったのはそんな何年間のものでもない。しかし、私が思ったその夢を私の門下生の者たちは夢を引き継いで、その夢がまさにその時代の先を見抜いたものであればこそ、それが時代を変えていったのである。

まず時代を見ること。今の時代の要請の中で何が求められ、何をするべきなのか。それが、私たちがまず最初にしたこと。その意味においては、明治の志士と呼ばれた者たちはみな別々の立場にはあったけれども、やはりあのまま日本が取り残されて、あのような封建社会の中に居続けることは日本の未来をつくらないのであると、早く世界に出て行かねばならぬのであると、やはり私たちは思った。

だから黒船が来た時、私は血が騒ぎ、胸が踊ったのである。早く日本をあのような国と同じようなところにしなくてはいけない。それでなければ日本の未来はないのであると、そのように思った。

そのような異国の地にも行ってみたかった。その全て、世界で今何が動いているのかをこの眼で見ながら、この日本をどのようにしたらば一人前の日本にできるのかということを真剣に真剣に考えたのだ、わたくしなりに。

そして、その思いを書物に残し、私の門下生の者たちに夢を語り伝えた。私はほんの二十代後半、三十前にして散っていったけれども、その時に思った夢がけっして外れたものではなくて、その夢を多くの者たちに伝えるために、そのためだけに出たのであっても、あとで思うのならば、私の人生は悔いのない人生であったと、そのように思える

「霊文明を多くの人びとが受け入れるような社会がくるわけがない」と、多くの者は言うかもしれない。しかし、明治維新のときも同じだったのだ。士農工商により侍が刀を持ち、女性たちもみな着物を着て、自分たち自らの人生に挑戦し、ましてどうだ、女性が大学に行ったりとか、女性が市民権、市民権というか、人一倍の能力を持ち、それを社会に発言していくなどという時代は、とても考えられなかった。男性の付属物であると言われ続けて、あきらめて嫁入りをする時代であったのだ。

しかし、我々が明治維新をやった後にどうなったか。侍はちょんまげを切り、刀を捨て、そして、女性たちもドレスを着、学問をし、社会に、世の中においては蒸気機関車の、そのようなものが、多くのものが走り、文明国としての形を、機能というものをどんどん取り入れていったではないか。

わずか百年の間にその後何が起きた。わずかな期間の間に爆発的な文明国の仲間入りをしようという精神的な革命が起きたのである。

数々の維新の者たちの血は流れたかもしれない。しかし、フランス革命とか、ロシアのほうとか、世界のいろいろな革命を見るのであるのならば、多くの血が流された。中国においてもしかり。中国においても、常に社会が変わっていくときには多くの多くの戦い、戦乱の中で世の中が変えられてきた。

しかし、明治維新においては、ある意味で「無血革命」といわれるように、ほとんど市民の血を流さずして、大いなる意識変革と社会の構造変革が行われたのである

メッセージの一部を動画で紹介しています

霊人紹介

吉田松陰

(1830年 - 1859年)

 江戸時代の武士。長州藩士。兵学者・思想家・教育者の面を持つ。幕末尊王攘夷を訴え、その思想により投獄される。松下村塾における教育者としての面も持つ。松下村塾は、伊藤博文や高杉晋作、久坂玄随、木戸孝允、山県有朋など、後に幕末の志士と呼ばれる人材を多数輩出した。安政の大獄によって処刑となったが、これにより明治維新を達成させる原動力となったことは確かなことである。
 私心を捨てて、常に国のことを思い、理想に燃えた情熱家であった。誠のために行動せよという姿勢は、霊人となっても変わらない。
 過去に、14世紀にチェコスロバキアに生まれた、プロテスタント運動の先駆者であるヤン・フスとして生まれている。プラハ大学学長であり、宗教思想家、宗教改革者として命の尊さを訴え続けた。
 天上界においては、七次元の光の天使である。